最初に言っておくと、佐山はプロレスの天才ではあるが、格闘家としての実力には疑問を持っている。

彼の才覚は、あくまで技術革新をもたらすイノベーターであったり、ブレずに理念を啓蒙し続ける思想家としてのものだと思っている。

新しい技術を産み出したり、それを体得するのは容易く出来るのかも知れないが、格闘家としての強さはまた別軸のものだ。


一言で言うと、格闘家として強くなるためには、色々な技術をやり込まなくてはならない。
だが、佐山は恐らく、好きな練習しかしないタイプだろう。
蹴りはやるが、パンチの実践的スパーは見たことないし、寝技のスクランブルの攻防も、恐らくしたことがないだろう。

よく、昭和のプロレスラーが、佐山をプロレスラーとしてだけでなく、格闘家としても持ち上げる事があるが、恥ずかしいからあれはやめた方がいい。
レスリングや柔道出身のプロレスラーの方が、恐らく強いだろう。



それを如実に感じる試合が2試合ある。


例の、旧UWFでの前田戦。

そして、下記に挙げた、西良典とのエキシビションだ。


どうだろうか?

恐らく佐山は、プロ格闘家の実力を舐めていた。
そして、一定レベル以上の格闘家との実践的練習を、プロレスラー引退後はした事が無かったのだろう。


前田戦も、恐らく技術は佐山の方があったのだろうが、強さというのは技術だけではなく、心技体揃って初めて発揮されるものだ。
技術以外の部分は前田に劣っているように見えた。


私は、決して佐山の功績を否定している訳ではなく、むしろ思想・理念を啓蒙する意味でも、格闘技界には佐山が必要だと思っている。


ただ、間違った軸で彼を天才として持ち上げてしまう事は、逆に彼の評価を落としてしまう事に繋がると思っている。